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オンリー・ハーツ
子供のころから、「すべての道はローマに通ず」という話を何度も聞いたものですが、 そのたびにそれはたんなる言葉で、伝説の産物、時代錯誤な話だと思ってきました。というのも、 私はローマ生まれではないし、ローマに引越す以前にすでにいろいろな大都市を訪れていたからかもしれません。 そういった大都市では長年にわたって人種の混交が盛んになっていましたから。 あるいは私がいわゆる素朴な南イタリアの少年だったからそう感じたのかもしれません。 数多くの親戚が世界中に移住していますが、目的地をローマに選んだ者は一人もいません。 なぜならローマは南すぎるというか満足できるほど北に位置していなかったのだと思います。
しかしながらいろいろ動き回った後ローマに移住して、私は近所に外国人が大勢いる環境にすぐに魅了されました。 そこにはかつてこの首都を目指して移住してきた南イタリアの年寄りたちも大勢いました。 しかも彼らは新たなる移住者たちに常に存在を脅かされているのです。 私は、世界というのは長い間こうして回っているのだということに気づきました。

そして私は古い格言がどれほど真実にあふれているかを思い知ったのです。 なぜなら、今日ローマは目的地としては必ずしも好まれていないかもしれませんが、確実に北ヨーロッパへの入口となっています。 そこには故郷を捨ててどこか温かく迎えてくれる場所を探し求める人々がいるのです。 イタリア人が人種差別者だから他所へ行くということではなく、イタリア人が移民者を受け入れるという、 これまでと逆の役割にもっと慣れる必要があるのです。 温かく迎えてくれる国というのは移民としてではなく市民として迎えられるということなのです。
この映画では、移民たちがイタリア人たちがお高くとまっているような仕事からではなく、自分自身の技術で生活費を稼ぎ出すという夢をここイタリアでどのようにしてかなえるのかを見せています。
このことは私たちのミュージシャンたちにもあてはまることです。 彼ら一人一人との出会いは唯一無二の彼らの個人史との大いなる遭遇だったといわねばなりません。 それゆえに彼らはこの映画のスターなのです。 彼らの数だけ路があるのです。私は30人あまりのミュージシャンと出会いました。 とても1本の映画には入りきれるようなものではありません。またオーケストラを作り上げるために選択すべき多くの楽器がありました。 多くの音楽に捧げた個々の路が互いに交わるオーケストレーション、それがこの映画です。

私は、「音楽映画」を作る多くの監督たちのような音楽の歴史家でないことを告白しなくてはなりません。 それだからか、ミュージシャンをまず人間としてその次にミュージシャンとして描くことの誘惑に抵抗はありませんでした。私は彼らの毎日の生活に入り込み彼らの心に刻まれた記憶の宇宙を呼び覚まそうとしました。同時に、彼らの現実にも光を当てました。彼らがイタリア人あるいはローマ市民になること、自らの出自を忘れることなくむしろその付加価値を音楽に捧げていることをどのように感じているのかを描きました。
もうひとつ、私は撮った映像を見たとき、痛々しい別離、犠牲、無視される権利、人種差別といったよりドラマチックな側面に焦点を当てて、故郷を離れてどこかに幸運を求める人たちの物語を描くのがいいのでないかと思いました。 そしてそんな物語はたいてい悪い結末を迎えるのです。それがみんなの期待することなのです。

ところがこの移民の物語の目撃者として、また参加者として申し上げるなら、いろいろあったにもかかわらずこの物語はハッピーエンドなのです。 それもとてつもなくハッピーエンドです。こんな不安な時代だからこそ『ヴィットリオ広場のオーケストラ』のようなハッピーエンドの物語、それも真実の物語を語ることはとても重要なのかもしれないと自分に言い聞かせています。
アゴスティーノ・フェッレンテ Agostino Ferrente
監督/プロデューサー/美術監督
71年10月28日イタリア南部のチェリニョーラ生まれ。
本人曰く、エルマンノ・オルミによって組織されたグループ「イポテシ・チネマ」及びボローニャ大学の舞台演劇学科の生き残り。映画監督になる以前は、外国のイタリア人コミュニティのための新聞やテレビの編集やコーディネーターをしていた。
そしてシルヴァノ・アゴスティ監督の助監督になり、やがて93年から翌年にかけて監督した2本の短編映画が国際映画祭で認められるようになった。

また、監督の一人として自身の映画制作会社で制作した2本のドキュメンタリーが、99年から01年にかけて多くの賞を受賞した。

そして02年「アポロ11」結成に至る。
「アポロ11」の創立者、代表として、「アビオン・トラベル」のマリオ・トロンコと共同で「ヴィットリオ広場のオーケストラ」を結成。イタリア・ドキュメンタリー協会の副会長としてさまざまなドキュメンタリーのプロモーションイベントを手がけ、名誉会長の故ヴィットリオ・デ・シーカ監督の忠実な継承者とも言える。

1993 Poco piu della meta di zero(短編)
1994 Opinion di un pirla(短編)
1999 Intervista a mia madre(ジョヴァンニ・ピペルノと共同監督)
1999-2001 Il film di Mario(ジョヴァンニ・ピペルノと共同監督)

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